僕がこの仕事を選んで続けている理由
僕がこの道を目指したキッカケとは?
ヒーローズは
スポーツマンの困りごとを
解消する会社です!
っとまいにちこのブログで
言い続けてるんじゃけど
どうして僕は
スポーツマンを助けたい
と思っているのか???
今日はちょっと
僕の過去
について触れてみます✨
僕は・・・
小さな頃から
かなり甘やかされて
育ったんよ。
欲しいものはほぼほぼ
買ってもらった
記憶ばっかりじゃし
食べ物で困ったこと
もないどころか
まるまる太るほどに
栄養満点の生活じゃった
岡山弁でいうと
「ほーほー言われて」
育ったんよ
(これ岡山弁?)
わがままで
太っている
と言う
僕が見た映画の
キャラだと
ハリーポッターの
ダドリーのような感じ?

きっとこのままでは
まずいな!!と母は
思ったんじゃろう
小学4年生のとき
町内会のソフトボールの
チームに入ることを
勧められ入りました
僕の父親は長年、
高校野球の審判を
務めていたぐらいの
野球人だったので
チームに入ったのは
相当嬉しかったみたい😊
小学生の僕は
体が重いわ我慢はせんわで
まぁ〜とにかく
努力がきらい😭😭
ソフトボールでは
当時の指導者さんから
ここに書けないような
かなりひどい言葉も
浴びせられた
母さんとの鬼コーチ記憶
母さんは見るに見兼ねて
心を鬼にして
縄跳び50回できるまで
晩ごはん抜き
逆上がりできるまで
家に入れない
みたいな鬼コーチに
なってくれました‼️
開脚やエビ反りの
ストレッチが
泣くほど痛かったのを
はっきり記憶してる
厳しく接してくれた
母さんじゃけど
できた時は必ず褒めてくれた
のがめちゃ嬉しかった
跳び箱5段が跳べた!嬉しい記憶
学校では
5年生のとき跳び箱
5段が飛べなくて
恥ずかしくて悔しくて
泣いていた僕を
見放さずに丁寧に
教えてくれたのは
当時の担任だった
セノオ先生
(お元気じゃろうか?)
何回もつきっきりで
教えてくれて
初めて先生の補助なし
で5段飛べた時
みんな!伊藤が
跳べたで!
の一言から歓声が上がって
友達が喜んでくれたのは
今でもはっきり覚えている
そうこうしていくと
すぐに6段も跳べて
どんどんと自信が
ついてきて楽しくなる
ソフトボールでも
最後のローカル大会で
5本ホームランを
打ったときの
あの打球が
すっ飛んでいく光景
は目に焼き付いている
以来、
ボールを打つことが
大好きになり
自信を持って野球部へ
入ることができました
「できない」→「できた!」=〇〇
その他にも
たくさんの「できない」が
「できた」へ変わり
「自信」に変わる
劣等感が
自信に
変わる瞬間
をスポーツを通じて
たくさん経験したんよ
昭和が平成になっても
令和になっても
あの頃の僕と同じような
思いをしてる
スポーツマンは
大人も子供もたくさんいる
僕の母親やセノオ先生が
いなかったら
今の僕はないように
1人でもいいから
たくさんの人の
「できん」を「できた」
に変えてあげたい!
好きなスポーツが
上手にできてより一層
楽しんでほしい
どうして僕は困っている
スポーツマンを助けようと
この仕事を選んで
続けてるんじゃろうか ?
そんな問いに対する
原点はここです
今日の話が「第一話」と
するならもうちょっと続き
があるのでまたの機会に
ではではまた明日